手の平の中に、世界はあった。

ガラケーって言葉も無かった頃の携帯電話ゲームとか昔のゲームとか、他なんやかんやを書き残しておきたい、そんなブログです

【ゲーム批評祭】「冠を持つ神の手」で投稿してました

 今年のゴールデンウィーク、世間が10連休に湧いている最中にこんなイベントがありました。

 

arcadia11.hatenablog.com

 

 "誰でもいい・どんなゲームでもいいからお前の激アツなゲーム愛をぶつけに来い!"という楽し気な気配がぎゅんぎゅんします!なこのイベントに乗っかりたく思い、自分も批評を1本書き上げて送らせていただいた。

 

でまあ、上位10本の栄光は得られなかったので、当ブログに当時送ったほぼほぼそのままで載せてあとがきを足して供養とすることにした。

他の人の送った批評もいっぱい見たいのでよろしくおねがいします。ウチもやったんだからさ(圧力)。

 

 

 

ヒトの心はそう単純じゃない。11キャラ×5ルートの結末と豊富なイベント分岐でプレイヤーに応えるフリーゲームの名作

 

 良いゲームとは何か?と問われた時、人によって様々な答えが出てくることだろう。
筆者の考えとしては、やはりマルチエンディングや豊富なパターンのキャラメイク、たくさんのやり込み要素やルート分岐の存在するゲームは高い評価を得ているように思う。
これはつまり、『プレイヤーの選択に対してゲーム側が小まめに、かつ丁寧にレスポンスを返してくる』ゲームを我々プレイヤーは心地よく・楽しく感じるのではないだろうか?という1つの自論があるわけだ。
その自論に基づいて言うならば、この『冠を持つ神の手』はフリーで個人製作のゲームでありながら世のコンシューマゲームに引けを取らぬほど、べらぼうに『良いゲーム』であると自信を持って断言できる、オススメの作品である。

 

 本作は母の死により身寄りの無くなった主人公が、ある理由から次代の王となりうるもう1人の存在として王城で暮らす事になりました、という状況から物語が始まる。
ゲーム内の1年間を費やして王となるべく研鑽を積む育成シミュレーションと、城で出逢う11名のキャラクターと交流をしていき良くも悪くも関係性を深めていくアドベンチャー(以下ADVと表記)、2つの要素で構成されるゲームである。
この『良くも悪くも関係性を深める』というのが本作の魅力の最も大きなコアだ。
世にある、キャラとの交流を主軸としたADVはおおむね友好度などの数値が0から始まり、会話やイベントの選択によって数値を増やし積み上げていく流れになる。
この積み上げる数値の名前が「友好度」であれば仲良くなる1方向のみ、「敵意」であれば突き放し嫌悪する1方向のみという事になり、0に戻すまではできても突き抜けてマイナスにする挙動を想定・許容するパターンはそうそう無い。
なので反対の感情を育てることは構造上叶わないわけだが、本作はこれを『愛←→憎』(いわゆる恋愛に繋がる感情)と『友←→嫌』(友情に繋がる感情)という2つの軸を設定する事により、非常に柔軟に感情を数値として表現できるようになっているのだ。
0を無関心としプラスが増えれば友好的、マイナスが増えれば敵対的な感情を抱いているとし、愛憎と好悪の2軸が存在することにより単純な愛情・友情や憎悪・嫌悪のみならず、『嫌いなはずなのに気が付くとその人の事を考えている』や『親友のように振る舞っているし実際その気持ちは嘘ではないが、裏では殺す機会を伺っている』というようなどこか割り切れない、一筋縄でいかない気持ちをも表現する事が可能になっている。

 

 そしてこの2軸の感情の動きは相手のキャラにも存在し、キャラ側も様々な方向へと感情が揺れ動くことで関係性はより複雑になっていく。
これがどういう効果を生むかというと、同じイベントであっても自分と相手の感情によっていくつもの分岐が発生し、ADV系ゲームにおいて陥りがちな『周回プレイのマンネリ化』とは相当縁遠い作りになっているのだ。
例えば主人公側が仮にAというキャラを嫌っている状態でAとのイベントを発生させると、選べる選択肢に友好的なものが存在しない……なんてパターンが発生することがある。
反対に好いて仲良くしているBというキャラのイベントを選んで読み進めていくと、仲良くしている相手に急に非道なマネはできないよ、と選択肢側があらかじめストップをかけてくる場合もあるわけだ。
前の周と同じ選択肢をそもそも選べないことがあるこのシステムは、プレイした当時感心させられたものだ。
「これは踏んだから一旦よけなきゃ」と意識する手間を省けた瞬間のそのありがたみは、プレイを重ねていくと実感できる。
さらにここにキャラ側の感情による判定分岐が乗っかってくる。
主人公が同じ励ましの言葉をかけるのでも、相手が自分に好意を抱いていれば素直に喜んでくれるが、嫌われていたり憎まれていたりすると好意に絆されるどころか「なんか上から目線で言われた、ムカつく」と悪感情を増幅させるばかりで逆効果に終わる事もあり得るのだ。
プレイヤーの思惑にキャラが同調してくれるとは限らない、画一的ではない反応のバリエーションの豊かさはなんともリアリティのある、生きている人間ぽさが出ていると感じられるだろう。


 これだけでも充分凄いのだが、分岐に関わる条件はまだある。
育成シミュレーション要素、王となるべく磨き学んで上げていく武勇や知力といった各種パラメータまで分岐条件にガンガン盛り込まれていくのだからたまらない。
知力を上げていないバカでは本などろくに読めないし、剣技を学んでいないもやしっ子では手合わせの申し出を受けたところで負けることしかできないのだ。
そのため、どのキャラとどんな関係になりたいかによって上げるべきパラメータ、逆に上げてはいけないパラメータは変わる。
目標のために個人としての主人公をどんな人物に育てあげるのか?も無視できない要素で、これをプレイヤー側に考えさせる事によって交流対象のキャラのみならず自らが操作する主人公にまでも愛着を抱きやすくなっている。
まっさらな状態のキャラを育て上げることでキャラが段々と『自分のもの』になっていく感覚は、MMORPGのキャラメイクなどを想像して貰えれば解っていただけるだろう。


 主人公→相手への感情、相手→主人公への感情、そして主人公のパラメータ。
この3つの要素を用いて丁寧に丁寧にイベントの分岐が編まれる事で、本作は「プレイヤーの選択の積み重ねによってこうなったぞ」というアンサーをすさまじく細やかに、そして濃厚に返してくれる。
結果、「何時間もプレイしているけどこの分岐初めて見たぞ!」という発見はかなり長きに渡り絶えず生み出され、11キャラ全てに愛情・友情・憎悪・殺害・裏切の5通りのエンディングという大ボリュームを飽きずにプレイし続けるためのモチベーションを保たせているのだ。

 

 このように、どこまでも真摯にプレイヤーの選択に応える作りになっている本作であるが、狙うルートやキャラクターによってはプレイヤー側にも同じレベルの真摯さを要求してくる点は少々脂っこさを感じる。
攻略対象である11人のキャラクター達はしばしば「こいつら面倒くさいなあ」と評されるが、なぜかと言うと各人それぞれに主人公がやってくるまでの過去とそれにより培われたバックボーンがあるために、それに即した言動を取らないと中々うまいことプレイヤーが意図した方向に相手の感情が動かせないからだ。
あるキャラを例に挙げると、仲良くなろうと思ってそいつに関わりの深いパラメータをせっせと上げて良い成果を上げ続けると、その分野で長いこと中々成果を上げられず思い悩んでいたところだったそのキャラはプライドを傷つけられアイデンティティを脅かされたと受け止めてしまい、どんどん主人公が憎まれていく。
友人、あるいは恋人になりたくばそいつの上に立ってはいけないのだ。
このキャラのムーブは『このゲームは、コイツは単純なタイプで簡単に攻略できるのでは?と表面だけ見て接するとえらいことになる、そういうゲームだぞ』という手本を示すかのような動きであるため、この経験を語ると「わかる」や「同士よ」などといったコメントが返ってくる、あるあるで陥りがちな話として扱われ既プレイ者の間ではちょくちょく話題になる程である。
他にも中々トリッキーな進行をしないと恋愛エンドに至れないキャラ、王を目指そうとすると立場の差を気にしてこちらが求愛しても身を引いてしまうキャラなど、だいたい皆クセが強い。
基本的に攻略やヒントの類を見ずに初見でプレイするとキャラエンドには至れないと思って差し支えなく、中にはやり込んでいてもなお難しいエンドルートも存在する。
難関ルートに何度も挑んで玉砕しては「なんでだ……これ何がミスってるんだ……条件足りてるはずなんだけどなぁ……?」と頭を抱えたプレイヤーの姿はこのゲームにおいては本当に珍しくない光景なのだ。


 もしこれを読んでプレイしてみようと思った人の中でイベントやエンディングをコンプリートするまでやり込むタイプの方がいるなら、くれぐれも無理せず根詰めず埋めていくことを薦めたい。
1キャラにつき5ルートのエンディングだけでも様々な条件で分岐が発生し小さくも大きくも内容が変わるため、正直全てのテキストを読破しようなどと思ったが最後、時間などいくらあっても足りやしないのだから。

 

 複雑にシステムと要素を絡め合わせた結果、どうしても難しめのADVゲームとなっている事実は否定できないところである。
しかしこの難しさが、1つの選択肢に対して1つの反応が返ってくることが殆どの、既存の多くのADVゲームとは一線を画す出来たらしめているのだ。
『冠を持つ神の手』は公開されてから10年経つ作品だが、システム・シナリオ・ユーザーインターフェースと本当にきっちりと全方位スキなく丁寧な作りをしているため、操作感が時代に左右されにくいADVジャンルを含むゲームであることを差っ引いても今プレイして古めかしさを感じる事はほぼ無い。
未プレイの人は是非今からでもダウンロードして、自分だけの激動の一年間の歩みを綴ってみて欲しい。
いくつかのエンディングに辿り着きその軌跡を振り返って見ればきっと、この世界と世界に生きる人々を面倒だけど愛おしいと思えるようになるだろう。

 

ここからあとがき

はい。

今見返してみるとまぁ~良くない。

1点弁明すると、1年半か2年くらい文章の類を書いていなかったのでこの企画は自分のリハビリを兼ねている面があった。そこで割り引いても上位の採用された批評と見比べると「いまひとつ面白さがないなぁ」と言う他ないのだけど。

 特に伝えたかったのは最初の方に書いた『プレイヤーの選択に対する返答が本当にメチャクチャ丁寧で細かいゲーム』という点だ。字数が膨らむのを嫌って書かなかった点として、『主人公の好意的・敵対的態度が毎度交流の度に反映される』というのがある。

初対面でメチャクチャ嫌われてる奴にめげずにいい顔し続けると絆されてくれるの、とても楽しい。そういった所からもリアルに近い人間真理の動きが見えて本当に良いゲームなので未プレイの人は1周だけでもやったってください。

 

http://wheat.x0.to/

小麦畑製ゲームはいいぞ。

 

あともう具体的に何がダメって狂気じみた情熱が明らかに足りていない。思うさま吐き散らかすような文章ではなく、人に読ませるものであると意識した結果、かえって小さく大人しくまとまりすぎている。企画元で発表された11本の批評の中には閲覧者をザワめかせたような奇怪な作品もあったが、その奇怪さからビシバシに迸る熱意は紛れもなく本物であった。ああいうのが自分の求める自分にとっての正解であり理想なんだなと魂で理解した。

 

 まずゲーム批評に必要なものは、一本のゲームに対する強烈な情熱と知識と愛情。

(冒頭リンク先記事、Jini氏の言葉より引用)

 

この言葉を忘れず、今後も精進していきたいと思います。

そしていつかそのうちあるかもしれない次回こそは、良い批評だと評価され採用される代物をお出しできるよう努力する次第であります。

次回、何のゲームでやろうかな…