手の平の中に、世界はあった。

ガラケーって言葉も無かった頃の携帯電話ゲームとか昔のゲームとか、他なんやかんやを書き残しておきたい、そんなブログです

【懲役太郎】を単純な『物申す系』でくくるのは不正確だし早計だと思う、という話

 

(※そろそろ過去記事の数が多くなってきたので当記事よりリンクは貼らないとしました。カテゴリ設定してありますので↑にある「懲役太郎」のリンクからお飛びください)

 

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 Vtuber・懲役太郎にドハマリして半年が過ぎ今年もそろそろ終わろうとしている。

せっせと推し活動をしていく中で【懲役太郎】というコンテンツは何と説明したものか、何と称するのが最もしっくりくるのか?という割と根幹のところに対する疑問を抱き、考察、分析、空想にふける事もしょっちゅうあった。

というのも、世の中には事件・事故に対して批判や注意喚起、問題周知を目的としています、というお題目を掲げたいわゆる『物申す系』というジャンルがある。【懲役太郎】はこれではないのか?という意見もほんのちょっとだが見かけた事があり、また、以前に【懲役太郎】の電話相談サービスを利用した中で「物申す系とはちょっと違うよなぁ……違うな……うん違うわそういうんじゃないわ……」などと1回口には出して見たものの違うわとひとり自己完結していたくだりもあった。何してんのこいつ

確かにそういう面もちょっとはある。自分で「物申す」という単語を出して話をする時もある。だがしかし、何かとよく燃えるそんじょそこいらの『物申す系』とははっきり言って一線を画す存在であるのが懲役太郎というおじさんであり、【懲役太郎】は『物申す系』である、という理解で敬遠するのはぜひちょっと待っていただきたい。食わず嫌いは勿体ないからちょっと待っていただきたい。

それっぽく見えるかもしれないがあなたの考えているような『物申す系』とは多分おそらくきっと違う。違うのだ。どう違うかを説明するからちょっとそこの席について話を聞いていってくれないか。

今回は、そういう感じの話である。

 

 

 

ネタにする以上は無策で触らず、誠実に仕込む

 そもそもなぜ『物申す系』が炎上するのか。某所とか某所とかを見るに万物に通用する理屈で燃えている。すなわち、理解が浅い・ないし無い案件に対してよくわからないままの目線で外野からいっちょ噛みすると上手くいかない確率は跳ね上がる、という事だ。

 

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この生放送の回、8分30秒ごろからの太郎さんの言い分はとても同意できるものだと思っている。『クリエイターとして世にコンテンツを発信する』という行為においては、扱う題材に対して見る側がわかりやすくツッコミを入れられるような瑕疵があるのはよろしくない。たとえば言葉・用語を間違えて使ったままそのままにしておくような、枝葉末節を疎かにするような真似をしていたらそこがもう気になって話に集中できないのだ。そんなところから雑さが透けて見え綻びを生みコンテンツの魅力や説得力は損なわれていき、いつかその内必ずコケる。それくらいいいじゃないか細かい!小さい!大げさだ!と思うかもしれないが「神は細部に宿る」のだ。つくる側が想像している以上に、受け手側はコンテンツの出来というものをシビアに見ていると考えて差し支えない。『子供だまし』は子供すら騙せないのである。

特に『物申す系』はジャンルの傾向上、より一段と気を付けるに越したことはない。批判・意見を述べるものになりがちなモノに対して荒いクオリティの『物申す系』を出せばそれはもはやただの外野の野次や罵倒と取られかねず、反発を受け炎上しかねない。そんな転び方をすれば致命的に世間から見放され一巻の終わりとなってもおかしくない可燃物なのである。

しかし世の一般的な『物申す系』はコンテンツとして出力するにあたって速さも欲しがる。他に先んじて、やあやあ我こそはこの件に物申す者であると喧伝するために急いで情報をかき集め組み立てる。

どこまで精査を甘くして労力を省き、コンテンツとして体裁を保てるかギリギリを攻める世界であり、しくじった奴から死んでいく。そんな風に個人的には見えており、端的に言って『物申す系』とは大部分がその場限りで噂話をするゴシップに過ぎない、というのが自分個人の認識である。

 ここに対比の軸がひとつある。【懲役太郎】はニュースであってゴシップではないのだ。速報性を完全に捨ててはいないものの、騒ぎになって即日話題に、というやり口は避けるようにしている。ワイドショーをザッピングし各局コメンテーターの意見を、複数誌の新聞を読み込んで各社の視点をある程度押さえて生放送に備え題材を練って予め作りこんでくるのが懲役太郎というおじさんだ。この事前の仕込みがしっかりしているから、30分の生放送をリアルタイムで視聴する人々は他に意識が逸れないほどの集中を安心して得られているのである。

メディアからの情報を整頓したニュースのおさらいからお題にまつわる太郎さんが体験したり見聞きしたエピソードを絡めて、何かしら「ためになるなぁ~~」と視聴者の多くが知らない世界の話を聞かせる知識系の面を覗かせる時もあれば、ひと笑い起きるような小噺でオチをつけるエンタメ動画に仕上げてきたり、またある時は毎度お馴染みの『前科三犯・893番』の立場を活かしたいわゆる『加害者側』の知見から「こういう所に気を付けた方がいいよ」という、非常~~~に説得力のある被害予防の啓発に励んでいたりする。

「今こんな話が世間で話題になってるんですよ~!」というまさに噂話の域から出ずにろくなオチもつけられないような、ただいいように消化していくだけでは済ませない丁寧な作り込みが日々為されているコンテンツである、というのは小まめに世にお知らせしたいところである。バーチャル刑務所の模範囚は伊達ではないのだ。

 

生産性の無いアジテートはしない

  『物申す系』という存在は、正直自分もあまり好ましい存在とは思っていない。

いくつか理由はあり、まずあの手合いは「こんな事件があったんですよ!」から始まって、大体の場合「ひどいですよね!」「許せませんよね!」という攻撃的な煽りが入るからだ。とりわけアニメ・ゲームを愛するサブカル系オタクの層においては、こういった正義感を煽って敵性存在を設定し武器を手に取らせるようなやり口はもういくらも見飽きて食傷もいいとこ、とうんざりしている者も少なくないのではないだろうか。

【懲役太郎】はこのあたりが明確に違う。彼はなるべくなるべく事件・事故に対して淡々と感情の面を一旦切り離し事実を取り出し、誰が悪い・何が悪いで片付く単純な話ではないですよね、という持って行き方をする。事実、現実というのは敵味方の二元論で全て片付くなら苦労はしないもので、誰が悪い何が悪いと石もて追い回したとて叩いて気分はスッキリするかもしれないがその後に何が残るかというと、何も無いのだ。正直。

基本スタンスとしても「私個人の意見」に留めて話しつつ、この主観に対して同意を求める口ぶりはあまり無い。視聴者、ファンへ投げかけるのは「こう思いますよね?」ではなく「どう思いますか?」が主であるのだ。意識的に煽り・誘導をかけないように舵取りしている節がある。

話を聞いた上でどう思うか・何を行動するかはいつだって視聴者個々人に委ねるようにして接して来るのが【懲役太郎】だ。そうでなければただ与えられた情報を丸呑みにして終わるばかりであり、それは非常に危うい事である、という太郎さんからのひとつの人生の先輩としての導きである。押しつけでは無くあくまで導きであり、願いと言いかえることもできる、それくらいの距離の感情であのおじさんは視聴者に接して来ている。

この導きをいっとき頓(とみ)に感じ取れ、「そこまで気遣わせてすまんなおじさん」と思わされる機会が増えた頃があった。生放送・動画の中で話す際に、単語であるとか事件の名称なんかを"ちょっと調べて見てください"という促しの発言がよく出るようになっていた時期が存在していたのだ。これは今までよりさらにもう一段、懇切丁寧に『手ずから実行させ、成果を収穫させる』という経験を持って帰らせ、その日のお題をとっかかりにし、そこから視聴者ひとりひとりの日々の色んな事柄に対してまで思考の手を伸ばさせるための、手取り足取りのレクチャーであったのだろうと自分は捉えている。

コンテンツ発信者の主観で先導し、主張を植え付け握らせて帰らせるのを目的とした『物申す系』のくくり縄ではなんとなくしっくりまとまらない存在なのがわかるだろうか。過去の記事でも述べたが、【懲役太郎】は人々を開き啓く鍵である。

間違っても誰かを傷つけるための武器ではなく、むしろ「そうしてその人を攻撃したとして何になるんですか」と人の悪意、敵意に対して心を痛め矛を収められないのかと憂うのが懲役太郎というおじさんである。この点においてはむしろ『物申す系』とは対極に位置していると言ってよいかもしれない。

 

何処を見て、何のために発信しているのか?

 結局のところ、もうそもそもこの開始地点からして『物申す系』と【懲役太郎】はあからさまに差があるなと自分は強く感じている。

 炎上する『物申す系』が1番に求めているのは、究極的には【自分の手柄】である。自分が悪を裁き正義を為したという手柄を求め続けているから、誰が悪いのか当事者でもわからないような話に『悪い誰か』を組み立てて作り、事件があれば加害者は攻撃されるべき悪だという前提から話が始まっていく。そうでないと自分が正義の側に立てないからだ。

『物申す系』に手を出す者の目的というのは、多くの場合そこではないだろうかと思っている。【正しい自分が正しいと称賛されるステージ】がこの手の輩にとって最も重視したい事であり注視している事なのである。このステージを飾り立てるためならこの者らは時に嘘を事実のように吹聴するし、自分が発信する情報の正しさを確かめる暇もケチるし、後から事情が変わって自分の正当性が揺らいだとしても殊勝に謝らなかったりするのだ。

こういう事をする『物申す系』は自身以外を大事にはしていないので、視聴しているあなたが影響を受けて身の振り方を間違えたとしても一切の責任は負わないしそもそもあなたを見てもいないのでその点に留意して視聴するべきだろう。「それでも好きなの!」と言うのであればそれはもう個人の自由でありみだりに否定するのもまた正しくないことである。

 では【懲役太郎】は?再三申し上げているように、自分の過去が、経験が、【誰かの何かのためになるように】活動しているのが彼、あるいは俺太郎先生も含めた彼らの動機である。この信念があるから、犯罪者側の目線で事件を語りながらも犯罪自慢にならないようにというバランス取りを気に掛けて啓蒙に努め、他者の批判や指摘をする中でも「あんまりこれ以上言っても悪口になっちゃうから」などと言って自分の言葉に自分で酔って過激になりすぎないように、セルフで歯止めをかけられるように心掛けている。どうよ、この50余年を生きたおじさまの話術のウデ。

自分の言葉で人は動きうるのだという責任を自覚して、日々のコンテンツの中で話し続けることで聞く人にそれとはなしに手を伸べて、ときにはより個に、究極的には【あなた】ただ1人と向かい合い、その行く末を見届ける。これは『物申す系』どころかあらゆるカテゴリに属す者全てを見回したとて「そんなものは珍しい者ではなくいくらも居る」とは到底言えないものであるはずだ。

この視点の差を感じるから【懲役太郎】を観測することを止められないのである。彼から汲み取れるもの・読み取れるものは刹那の楽しさではないものが殆どだからだ。明日以降に続く何かしらの忘れ得ぬものや考え続けていくものを振り撒き、自分が与えたものを自分に触れた人々がどう取り入れ、どう至るのかを見守られている心地がするからだ。だから自分は今日も動画が上がれば視聴し、生放送があれば心待ちにして、そうして【懲役太郎】というコンテンツを好き好んで触れに行くのである。

それが時には『物申す系』を銘打っていたとしても、それは自分の知る『物申す系』とは明確に違うと感じるからだ。

 

などと文章を組み立てる間にも時間は進んでいたし事態はなんかこう動いた

 なにせ今回は明確に比較対象を置き、比較相手を批判するような話だ。それこそ太郎さんに倣い行き過ぎた他者批判にならないように、主観を盛り込み過ぎた悪口にならないように慎重に記事作成に取り組んでいたつもりだ。

そうして頭の中から表現・語彙を絞り出している間にあのおじさんとその協力者の先生はあるひとつの楽しみを見出していたんである。

 

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はい。

あの。わかりますかねこれ。

期せずして公式の方からオチ持って来られてるんですよこれ。

【懲役太郎】は普通の『物申す系』とは違うよね!という話をしていたらなんか向こうが嬉々として『物申す』ってタイトルに入れて太郎さんの実体験と照らし合わせて「これは私の記憶と違いますよ!」と反論してコンテンツにしてきたというね。そういうとこだぞ本当。

いやまあそれでも、それでもなおいわゆる炎上するような手元不如意の『物申す系』とは違うんですよやはり。何故W太郎さんがこの某コンテンツに突っ込みを入れているかと言えば、『実録』とあたかも脚色を含まないかのような話運びをしているけどこれが本当に実録だったらマズいどころじゃないとか、服役経験があったらまずこれは間違ってるって言える所ですよっていうポイントに対して異議を唱えているとかであって、要はフィクションを含むなら含むと正直に言ったらいかがですか、というのを自分らの動画コンテンツにして作りつつ伝えているわけであり、「この某コンテンツは悪い奴だから攻撃しましょう」などとは一切言っていないのである。この点はしっかりと留意し戒めるべきポイントなので安易な攻撃は慎まれたい。

また、実際に刑務所の暮らしを経験している立場から疑義を申し立ててはいるが、これで「太郎さんが言ってるから正しい!」と丸ごと鵜呑みにしろというわけでもない。太郎さんの話が最新の刑務所事情と合致していない可能性もあるし、太郎さんが行かない・もはや行けない類の刑務所ではそういう事になっている文化というものもあるのかもしれない、というのはちょっと気に留めて置いた方が良い。

つまりはまったくいつも通りであり、【懲役太郎】を通して『色んなこと、よく考えて下さいね』なのである。ためになるなぁ~。

 

 本当なら【懲役太郎】は『物申す系』ではなくつまりは『○○系』なのである、とでも締めて終わろうかという予定だったのだがことこうなるとそれもちょっと違ってしまうので、よしこうしよう。

【懲役太郎】を一発でくくれるカテゴリタグというのは、きっとおそらく現状この世に存在しないのである。というかあの名状しがたい底知れぬおじさまを単純なラベルひとつで分類を済ませようなどというのが土台おこがましい話なのだ。そもそも。

【懲役太郎】が『物申す系』でなければ何なのか?それは1人1人が時をかけて思考と言葉を尽くして解き明かす人生の宿題なのである。

何せこれから数十年、Vtuberの演者とファンとしてお付き合いしていくうちのはじめの1歩が今である。今はこれが精一杯ということで、これからは君が、考えるカラス(※NHKの教育番組)。

 

 

 

 さて。

今回で自分1人で書ける限りの事は大体書き尽したので以降は不定期ということになる。わたし、普通のゲームブログに戻ります。

この約半年の間、書きも書いたりでしたためた私の視点で観測し続けた【懲役太郎】に関する文章が、誰かの何かのためになれば幸いである。

来年も引き続き【懲役太郎】の模ファン囚として応援は続けるので縁があればよろしく構っていただければ嬉しいです。