手の平の中に、世界はあった。

ガラケーって言葉も無かった頃の携帯電話ゲームとか昔のゲームとか、他なんやかんやを書き残しておきたい、そんなブログです

「ソード・ワールド mobile2」は当時としては結構贅沢なアプリゲームだったかも、という振り返り

 テーブルトークRPG、というジャンルがある。

今このジャンルの流行りと言うとやはりクトゥルフ神話シノビガミサタスペ、次いでインセインあたりになるだろうか?15年から20年前、これらの先輩として隆盛を誇っていたのはGURPS(ガープス)シリーズ、そして略称S.W……「ソード・ワールド」である。

アレクラスト大陸を舞台にした剣と魔法のファンタジーに魅了され幾多のキャラクターとシナリオが日本中で創造されたあの時代、今思えば何故携帯アプリ界に進出しようと思ったのだろうか?そして当時のファンはあの作品を快く迎え入れていたんだろうか?

その辺は知らないがともかく「ソード・ワールド」の名を冠しテーブルの上から携帯電話の中へと舞台を移した「ソード・ワールド mobile」、その続編としてグループSNE及び株式会社ジー・モードより提供されていた「ソード・ワールド mobile2」というアプリゲームの話をしていきたいと思う。

なぜ無印ではなく2の方かというと当時プレイしていたのが2だったから、というだけである。

 

http://www.groupsne.co.jp/news/topics/swmobile.html

※リンク先の画像および情報は「ソード・ワールド mobile」のものです。ページ下部のリンクから「ソード・ワールド mobile2」の当時の様子の断片が見られます。

 

TRPG→ローグライクのクレバーな転換

 当然ながら当時の携帯電話アプリのゲームでTRPGをやろう、などという代物ではなかった。アプリで1人で延々とデジタルダイスを振ったところでそれを面白いと思うものは多くはないだろう(とは言いつつもゲームブック「火吹き山の魔法使い」を携帯アプリでやって延々ダイス振っておもしれー、ってやった経験があるのだが)。

ではS.Wを作ったグループSNEはどうしたかというと、日本ではいわゆる『不思議のダンジョン』系と呼ばれるジャンルであるローグライクゲームの形に落とし込んで、元のS.Wにも存在した【仲間とパーティを組んでダンジョンアタックを楽しむ】という魅力を上手い事提供できるようにしたのである。

自分はTRPGとしてのS.Wを知らずにプレイしたクチなのだが、それでも「ソード・ワールド mobile2」は面白かった。

というかそもそも、ローグライクというジャンル名が作られる元になった源流のゲーム、「ローグ」が暴力的なまでに面白いんである。ランダムにダンジョンとアイテムと敵が生成される一期一会の冒険は寝食を忘れ時間を盗まれ人生に支障が出るほどの中毒性を秘めた面白さであり、同じようにサイコロのランダム性によりドラマが生まれるTRPGジャンルとの親和性は必然と言ってもいいだろう。

アレクラスト大陸各地に存在する街によって行けるダンジョンは違う。自分の力量に合わせてダンジョンに潜り、探索の中で水薬、食料、装備品といったアイテムを拾い集め、それらを活用して敵を打倒しダンジョンに眠るお金やいかにも宝箱のアイコンで落ちている様々な効果を持つお宝を狙う。当時としては競争相手のほぼ居ないローグライクRPGというジャンル、その中でピカイチの面白さを誇っていたと言ってもちっとも言い過ぎではなかったのだ。

 

本家TRPGのように冒険者になれる楽しさ

 日本では『不思議のダンジョン』系でローグライクが周知され広まったため、「ソード・ワールド mobile2」で自分の分身である冒険者を作る際にファイターやプリーストといった職業選択の自由が存在した、という点はゲームメーカーが提供するそれまでの日本製ローグライクとしては目新しいセールスポイントであったのではないか?と自分としては考えている。

本作が提供されていた頃に『不思議のダンジョン』系の根元である「トルネコの大冒険」の2作目が既に発売されており、あのトルネコが戦士と魔法使いにもなれる!と話題になっていたが彼はあくまで基本商人であるし、そこから派生して人気を博した「風来のシレン」シリーズの主人公・シレンはいつもいつでもいつまでも風来人のままだ。どちらもアイテムがなければただただ敵を素手で殴りつけることしかできない面白みのない素体である。

ソード・ワールド mobile2」はどうかというと、ファイターは重たい金属のプレートメイルや両手剣を持てるだけで装備の力で殴りつけるのみだが、プリーストやメイジの魔法職は魔力を消費して各種魔法を撃つ事ができた。状況を打開する力を、良いアイテムが拾えますようにという運頼みのみにならず最初からある程度自力で抱えられる、その1点を見るだけでも「ソード・ワールド」を題材にした価値があるのかもしれない。

転生という形で職を途中で変更する事もできたので、その時その時で自分の職業が持つアドバンテージを前提にした冒険中の立ち回りを考える楽しみは中々オツなものであり、自分が手を出せない部分を仲間に頼るというパーティプレイの醍醐味が面白さを引き立てるひと味になっていた。

 余談だが、自分が本作を、前作の「ソード・ワールド mobile」無印ではなく2の方であると確信できたのは実はこの職業システムのおかげだった。当時セージという職業を愛用していたのははっきり覚えていて、この職業は2からの実装だったからである。

後付けで実装された職業というのは往々にしてメリットが大きいもので、セージの特徴は食料で回復しなければいけないパラメータ・スタミナの消費が他職に比べて半分。食料が中々見つからなくて慌てなくてはいけないデッドラインが倍遠くなるのはローグライクにおいてとても価値があるメリットだ。省エネは大事。

これだけでなくもう1つセージの特徴があり、ダンジョン内で拾うアイテムは未識別の状態、使ってみないと中身や性能がどうなのか解らない状態で取得する事になる。識別するために適当に水薬を飲んだら毒薬だった、程度はまだ可愛い方で装備を身に着けて識別しようとすれば呪われていて外せず致命的な事態に陥る事もあるのがローグライクというものである。

セージとはいわゆる『賢者』の事であり、その知啓で使わずしてアイテムを識別することができた。この2つの利点はローグライクを触った経験があるゲーマーならば選ばない理由はあんまり無いレベルだったのである。肉体に自信がある職ではないので重たい金属鎧などは装備できないが、生死を分けるのは丈夫な装備とは限らない、ローグライクはそういうところもあるのだ。

 

ハウジングシステムはゲームの華よ

 「ウルティマオンライン」しかり、「エミルクロニクルオンライン」しかり、「マビノギ」しかり。ゲームの中で自分の家・部屋を持ち一国一城の主になれるハウジング要素は非常に求心力の高いコンテンツである。「ソード・ワールド mobile2」にもこのハウジング要素が存在しており、椅子や机といった家具を置いてそれっぽい自宅の憩い空間を作ることができた。

この『自宅』はゲーム的にも意味があり、ダンジョンで獲得したアイテムを自宅内の店舗で並べて売買できるという楽しみもあった。他プレイヤーの家を訪問してショッピングしがてら内装を拝見し、コレクションとして陳列展示されている財宝を眺めて羨ましく思った日々が懐かしい。

たくさん家具を置いて、アイテムを置いて……となると気がかりなのは容量だが、「ソード・ワールド mobile2」はダンジョンを冒険する用と家用とでゲームアプリを分ける事でこの問題に対処した。この用途を分けた複数のアプリをダウンロードさせてアプリ間を行き来させる手法は当時のアプリゲームではちょいちょい使われていたやり方で、スマホが主流になった現代においての自社ゲームのポータルサイト的なアプリとゲームアプリとを双方向でアクセスできるようにしている、みたいな流れによく似たものはこの頃から存在していたのである。

 

ローグライクネットワークゲームに実はある食い合わせの悪さ

 と、ここまで本作を褒めたが良くない点ももちろんあった。

いつの時代もネットワークゲームソーシャルゲームというのはイベントがつきものだ。それも期間限定のイベント。限られた時間で条件をクリアすると栄誉やアイテムを得られるというご褒美にプレイヤーは釣られ、熱狂する。そしてゲームのトップランカー・トッププレイヤーを見据えた内容に往々にしてなっている、あるいはなっていくので難易度は時が経つごと、回数を重ねるごとにインフレしていく事が多い。

はっきり言ってしまうと、途中から本作のイベントダンジョンは気軽に手出しするには厳しいものになってしまっていたように思う。

ローグライクはダンジョン1つ踏破するだけでも少なくない時間を費やす必要がある。イベントダンジョンは記憶が確かならばゲーム中の情報で何階まで踏破すればクリアなのかが解らなかった。先人が実地へ行きクリアして情報提供してくれるのを待たなければ出たとこ勝負という中々にリスキーな行動を余儀なくされる。

自分がもう「イベントダンジョンやだな」と心が折れたのはたしか、試しに突入したら60階ほど踏破を強いられたからだったように思う。中断のシステムはあったが1つのダンジョンに長時間籠らされたあの経験はいまだに何となく嫌~な記憶として残っている。

 問題なのはそのリスキーな行動で失敗してダンジョンの半ばで倒れてしまったら持ち込んだアイテムは全て消失してしまう、というローグライクのシステムだ。

いくらイベントに参加して限定のアイテムを得たとて、その後そのアイテムを持ちこんでダンジョンで倒れれば過去の努力は水の泡となって消えてしまう、というのが大分相性が悪いのでは?と今なら思う。

常に全力で、高額ながら強い効果を持つお宝を携えて行けば生還できるかもしれない。けれどこれをもし失ったら立ち直れない気しかしない……そんなせめぎ合いのストレスとプレッシャー、そして実際に失敗してアイテムが吹っ飛んだ者のショック。それらで徐々に脱落したプレイヤーが出てきて、本作は少しずつ活気が霧散していってたように感じた。

携帯アプリで、月額課金しかなかった頃のゲームであるがゆえに死んだ際のアイテム保護もつけようがなく、神経をすり減らして手探りでダンジョンを進んだあの頃。この経験でゲームがよこしてくるしんどさ、というものに耐性がある程度できたのかもしれない。

 

大冒険の成果をゆっくりソファにかけて眺めたい、のかも

 現在ではスマホアプリでのローグライクゲームは探せばいくつも見つかる時代だ。だがしかし、何かなんとなく好みにはジャストミートしないなと感じてしまう自分がいた。自分が求めているのは何か?「ソード・ワールド mobile2」を思い返し向き合うことでその答えがわかったような気がしている。

ただダンジョンを踏破するだけでは味気ない、と思っているのだ。源流の「ローグ」やローグライクにあって「不思議のダンジョン」系列には少々足りていない点、『アーティファクト』と呼ばれるような一点モノの(一点モノでなくてもいいけど)飾ってるだけでも満足感があるようなお宝を並べて飾り、眺めてうっとりする時間があってこそ、危険を冒して冒険に挑む価値というものが出てくるのではないだろうか?優秀な武具、合成を重ねて育て上げた武具もまたお宝ではあるのだが……違う、そうじゃない。ちょっと違う。

このダンジョンや敵から巻き上げたお宝を並べて悦に浸る楽しみを、しっかりローグライクとしてやらせてくれているゲームとしては名作フリーゲーム「Elona」が頭に浮かんだ。あのゲームも自宅を持ち、あぶれて使わないアーティファクトを自宅に宝物庫スペースを作ったり倉庫を建てたりして保管し、素敵なコレクションを貯めていくのが楽しみのひとつになっている。

 

常に戦い続けるゲームのブラック労働化から離れた、戦士の休息タイムがちゃんとあるローグライクゲームがひょっとしたら今の世の中にはもっとあった方が良いのかもしれない。