手の平の中に、世界はあった。

ガラケーって言葉も無かった頃の携帯電話ゲームとか昔のゲームとか、他なんやかんやを書き残しておきたい、そんなブログです

死にゆく世界で、もがき、あがき、生きるふたつの命。「終わる世界とキミとぼく」プレイ感想

 

worldend.illucalab.com

(公式サイト)

 

 

 

 ゲームとは、娯楽のひとつである。プレイする最中、悲しくなったり憤りを感じる瞬間もあるだろう。それでも結局は様々な感情や体験を経て【楽しい】を得るのが娯楽であり、娯楽のひとつであるゲームを手に取る動機となるのだと思う。

……ならば、明るく優しい【楽しさ】をはなから与えるつもりの無いゲームはいけないのだろうか?【楽しさ】を得るまでの道のりが苦しみと悲しみにまみれているゲームを、全てのゲーマーは望んでいないと言えるだろうか?

「終わる世界とキミとぼく」、以下「セカボク」と略すこのゲームは、そんな『ゲームというもの』の根幹にまで考えを及ばせた末に「それでも、このゲームは良いゲームだよ」と言うより他に無い、そんな深く暗く冷たく長く苦しい―――そして、面白いゲームである。

 

舞台はヒトの文明が崩壊した世界

  その設定とストーリー背景はわかりやすく不穏である。

 

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タイトル通り『世界の終わり』からゲームは始まる

 

 

 

このように、安定?秩序?そんなものは核によって一切合切薙ぎ払われた、静かに死に満たされた世界。いわゆる【ポストアポカリプス】ものと呼ばれる世界観で主人公の「ぼく」とクラスメイトの「マチコ」を生き延びさせ、『生き抜く術』を見つけ出すことをクリア条件としサバイバル生活を過ごしていく。「セカボク」はそういうゲームである。

「ポストアポカリプスで豊かな暮らしを築くのはリアルじゃないでしょ」と常日頃思っているサバイバルゲー好きに告ぐ。今すぐストアへ行くとよい。

銃を集めてミュータントだゾンビだをハチの巣にしてやるぜ!!……なんて展開はない。武器の上限は猟銃・火炎瓶がせいぜいだ。畑を作って料理レシピをどうこうなんてグルメな食生活はない。条件が整えば野菜の栽培でなんとか飢えず食いつなぐことができる、その程度の文明的な生活はできるが食べ物は野菜だろうが肉だろうが缶詰だろうが一律で『食料』である。

少年少女の相応に収まった身の丈でからがら生きる、無味乾燥でさびしく、わびしいサバイバル。1周回って中々無いレベルの容赦の無さはまさに待望である、と喜ぶゲーマーも居ることだろう。

 そう、「セカボク」は全体的に『そういう層』向けのゲームである。その事を理解して手に取らないと相性の悪さで評価が割り引かれる、結構なトガった個性を持つ作品であるという点をよくよく理解していただきたい、と述べた上で次の話に移ろう。

 

とにかく「運ゲー」「理不尽ゲー」と言われた「セカボク」

 正式リリースされてから本当にこの2つの発言はTwitter上でよく見受けられた。

正直に言って、これらの発言自体は私は否定しないし一定の同意と共感を示すものである。その上できっぱり言おう。

 

この「セカボク」というゲームに限っては、「運ゲー」「理不尽ゲー」の味付けは【必要なものであった】と言わざるを得ないのだ。

 

 まず単純にゲームとして、「セカボク」は【ローグライト】と公式がジャンル定義をしている。【ローグライト】って【ローグライク】じゃないの?何が違うの?という話をしだすと長くなるので割愛するが、要は古のゲーム【ローグ】っぽいもの。

ローグライク】よりもさらにもう1段うっすらと「っぽい」もの、と考えて遊ぶゲームである。これはつまり、『ランダム性があるよ』を意味する言葉と捉えるとよい、という事だ。

ゆえにまず、「運ゲー」であることはジャンルで最初から言っているのでおかしい事ではないよ、ということだ。【ローグ】要素を含むゲームで運を天に祈る瞬間など無かったためしが無いだろう。

その道程がどうか幸運であるように願いながら歩を進めるつくりであるのは作者・EIKI`氏が元より狙ってやっているわけだし、【ローグライト】ジャンルである以上避けられないものなので受け入れて、と言うより他に無いのである。

 

 じゃあ「理不尽ゲー」の部分はどうなのか?という点については、先ほども述べた【世界観】がその理由の説明になる。

殆どの人類が核ミサイルによって死に絶え、建物だって人類と同じく殆ど壊されわずかに残るばかりで、ゲームを進めていくと身をもって知ることになるが、このわずかに生き延びた建物やら人間以外の動物やらも『終わる世界』の前には無力である、とてもとても濃い【死】がのしかかる世界で、幸運にも生き延びたのが主人公の「ぼく」とクラスメイトの「マチコ」である。

そう、【幸運】なのである。割とマジでよく生きてたなぁ、というところからスタートし、いや本当によくこんな結末にこぎつけたなぁ、というところまで持っていくのがこのゲームの構造だと解釈して差し支えない。

スタート地点に立てた【幸運】と同レベルか、あるいはそれ以上の【幸運】に恵まれでもしなければ、この2人の少年少女は本来この世界を生き延び続ける事はそもそもできないでしょうよ、というのがEIKI`氏の意図するところであるように自分は思えた。

難易度バランスを考えなかった結果の難しさ、ではないんである。「この世界観、この設定なのだからゲーム進行が簡単なわけがないよね」という、演出に凝った結果の大変さである事を加味した上での評価を自分としては強く望みたいところなのだ。

 

 また、実際のゲームデザインの面においても遊んでいくと実は案外「理不尽ゲー」ではない事がわかる人にはわかってくる。

例えば探索箇所の解放はきちんと『パラメータ:知識が一定以上に到達』が条件として設定されているし、最初の解放で【図書館】と【病院】へ行けるようになるわけだが、この【図書館】の初回探索時には確定でクーラーボックスを抱えた死体と遭遇するイベントが発生し、クーラーボックスを検める選択をすれば『食料』が4入手できる。この情報を知れれば以降のプレイで序盤の食料管理を、多少だがプレイヤーが能動的に調整できるようになるわけだ。

そういった情報の蓄積は【ローグ】系の醍醐味のひとつだ。【ゲーム内知識を得ることでプレイヤーのレベルが上がる】ことにより、「セカボク」は最も良いエンディング、トゥルーエンドへのロードマップはしっかりと描くことができる構造である事が浮かび上がってくるのだ。

【ローグ】系である以上、その道のりが解ったところで必ずクリアできる、とはいかないがこの『プレイヤーのレベルアップ』によりイベントの取捨選択やアイテムの重要度が解ってくると、案外、要所で食料の補給チャンスがあったり、知っていれば一方的にこちらがボーナスを得られるようなイベントがある事に気付いたりできる。

ゆえに私はこのゲームをこう評価したい。

 

「セカボク」は、容赦は無いが慈悲は結構あるゲームなんですよ、と。

解るまでは大変だが解ってくると生存日数も延びるようになって面白くなる。「とにかく挑み、知ることだ」とどっしり構える「セカボク」の骨太なゲームデザインは「ウィザードリィ」シリーズなどでせっせと方眼紙で手作りマップを書いていたようなゲーマーに非常にオススメできる1作だ。

 

「セカボク」が合わなかった人が出た一因:『マイナスのn択』の話

 ……といった感じで擁護したい所もいくつもある「セカボク」ではあるが、特に近年のスマホゲームを遊ぶゲーマー層からすると楽しくないのかもなぁ、と思ったポイントがある。それがこの『マイナスのn択』だ。

象徴的なのは「セカボク」のこのイベントだろうか。

 

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既プレイ者ならひと目で「あー……」となる画面

 

上を選ぶと2人の体力上限が10削られる。これを取り戻せる機会はない。

下を選ぶと「ぼく」の体力が非常に大きく(確か40=ハート4個分)減少する。

「セカボク」にはこういった『何もいいこと無い純粋なバッドイベント』が何個か存在する。

 その事自体が悪いわけではない。例えば【ローグライク】ゲームとして有名な「風来のシレン」シリーズでもひどい目に遭う罠はたくさんあるし、関わるだけ損なろくでもないモンスターだっているが、では「風来のシレン」シリーズの評判が悪いかというとそうではないだろう。

ただ今のスマホでゲームを遊ぶ若いゲーマーは『「風来のシレン」のような』といった昔のゲームの遊び心地が通用しない層ができてきているな、そういう気配を「セカボク」に対する評価を通して感じ取ったのだ。

 

 これはスマホの『カジュアルゲー』と呼ばれる類のゲームを見ていくとなんとなく感覚が掴める人がいるのではないだろうか?特にPCで爆発的な人気を博した「クッキークリッカー」の流れを汲んだクリッカー系や、例えばスマホゲー「レガシーコスト」のようなインフレ系と呼ばれるようなゲームは、ただひたすらにプラスを、プレイヤーに対する報酬を積み重ね膨大な桁の数を視覚的にババンと出してくる。これが実際体験してみるとまぁ気持ちが良い。数値を稼ぐために稼ぐ、その繰り返しで桁が上がる、稼ぎが速くなるのを眺めているだけで脳が気持ち良くなるのだからゲームが与える報酬の力ってすごいもんである。

こういったゲームに慣れているプレイヤーだと「どっちに転んでもマイナスになるしかない」損だけのイベントはかなり不快に感じ、「マイナスになるところをゼロ、損傷無しで食い止められた」というゲーム進行でさえも損をしていないのにひどく侘しい、得にもならない事に見舞われたのがストレスに感じるようだ、というのがレビューなどを見て回って自分が考えたひとつの推測だ。

 

 なので「セカボク」は個人的には好きだが、「楽しく遊べるよ!!」という触れ込みで万人に薦めるのは少々躊躇する尖ったゲームではある。イベントでちょくちょく『マイナスのn択』や『マイナスかゼロのn択』をよこされるからだ。

しかし、創作者、小説を書いていたり同じようにゲーム制作をしている人にとっては「セカボク」はプレイヤー心理とゲームの難易度デザイン、世界観や設定にゲームシステムをどこまですり合わせるか?を考え学ぶには非常に良い作品と言えるだろう。

 多くのソシャゲのデイリークエストのように、小まめに報酬がもらえるデザインはプレイヤーの喜びを刺激するのに効果的であり、逆に得たものを失わせるイベントはストレス負荷がかかるので負荷をかけてはいけないわけではないが、アフターケアなどでストレスがかかってもなおプレイを継続しようと思える何かを組み込んでいくのがクリアするまでゲームを遊び抜いてもらえるひとつのコツなのかもしれない。「セカボク」を遊んだ経験から、個人的にはそんなことを思ったのだった。

 

そしてクリア後に思い知る、「セカボク」のテーマ、その芯

 「セカボク」には実績システムが存在する。各種エンディングに到達や特定の条件を達成すると埋まるようになっている。

 

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やりました。

 

この実績を全て埋めると読むことのできるテキストがあるのだが……このテキストを読まずともゲームプレイを通してうっすらと察せ、そしてこの実績全達成のご褒美として読めるテキストではっきりと確信できた。

 

「終わる世界とキミとぼく」を端的に言い表すならば、これは【選別】の物語である。

 

核ミサイルが降り注いだ圧倒的な死の【選別】に振り落とされなかったところから始まり、ゲームの最中には「ぼく」と「マチコ」が知らないうちに存在していた【選別】があり、ルートによってはその【選別】は2人の知るところになる。

ゲームプレイも【選別】の連続だ。何を得るために動くか?何を犠牲に差し出すか?選び取り、切り捨てる。

 

 ここで、もう1度「セカボク」が運ゲー・理不尽ゲーであったことは【必要なこと】だった、という話に戻ってくるのだ。

「セカボク」が【ローグライト】なのは、それだけ2人がこの世界を『生き延びる』のが簡単な事ではないのを表している。その簡単ではない2人の道のりを、プレイヤーは繰り返し繰り返し遊び、挑むことで『生き延びる』ことを成功しトゥルーのエンディングに辿り着ける世界線を……別の言い方をすれば、そこへ至れる個体の「ぼく」と「マチコ」を【選別】するのが、この「セカボク」というゲームなのだ。

最初の頃は、このまま進めてもじわじわ死んでいくしかないだろう2人に心の中で謝りながら1回1回を最後までプレイしていた。だから辛くて少しずつしか進めていけなかった。それが慣れて上手いプレイをわかっていくうちに、「今回はダメだな」と見切りをつけて次の「ぼく」と「マチコ」のサバイバルを始めていく自分がいた。

2人の少年少女、その命をただのデータとして消費していく。

あるいは、あたかもカミサマのように、2人の世界線を剪定し選定していく。

 

この無機質な【いのちの選別】を経験してこそ、トゥルーのエンディングと実績埋めで解除されるテキストの、その味わいは引き立つ。ゆえに「セカボク」の難しさは必要であるわけなのだ。

 

この「プレイヤー側が【選別】に加担することを作者・EIKI`氏から望まれているのでは?」という考えに至った瞬間の背筋がゾクゾクきた感覚といったら実にたまらなかったことはしっかりとお伝えしたい。

これもひとつの、ゲームごしにプレイヤーへと干渉が為される、いわゆるメタ的アプローチというやつである。クリアしてこの感覚を味わったがために、私は冒頭のように、

 

「このゲームは難しいし合わない人もいるのはわかる。

それでも、このゲームは良いゲームだったよ」

 

……と言いたくてしょうがなくなったのだ。

この記事が少しでも「セカボク」が刺さりそうな人に見つけて貰える、その助けになるように、そして良い評価が増えるようになってくれればと思っている。「運ゲー」「理不尽ゲー」で忌避されるのはもったいないですって、本当に。

 

この記事を書いてる間にSteam版も出たんですのよ

 書き忘れていたが、「セカボク」は有料買い切り型のゲームである。スマホ版であれば250円程度、先日リリースされたSteam版だと600円ちょっとなので値段だけで言えばスマホ版の購入をオススメしたい。スマホだとタスクキルでリスタートも楽だと思うので。

広告に邪魔されず、どっぷりとあの灰色の世界のサバイバルに没頭できるため買い切り型にしたのは文句なしに正解と言えるだろう。雰囲気が壊れない。

最後に、作者も公に言っているように「セカボク」はトゥルーまでの道のりを、1人きりの力で解き明かすような挑み方を推奨していない。わからない事があったり詰まるような事があれば、どうかTwitterで広く人に訊ねたり、友人知人も巻き込んで攻略の作戦会議をしたりといった具合に楽しんで欲しい。

「セカボク」は、他者と手と手を取り合うことを賛美するゲームでもあったりする。そういうメッセージも込められたゲームであるからして、ぜひ「セカボク」を通したヒトとの交感もひとつ、楽しんでプレイしていただければ幸いである。

 

 

それでは、皆様。

どうか、よい終末を!