手の平の中に、世界はあった。

ガラケーって言葉も無かった頃の携帯電話ゲームとか昔のゲームとか、他なんやかんやを書き残しておきたい、そんなブログです

とにかくVtuber【懲役太郎】さんを推したいので全世界のみんなチャンネル登録してきて、という話

 このブログで最初にアップした記事にてブログを立ち上げた理由のひとつとして、とあるVtuberの存在を挙げた。今回はそのVtuber・懲役太郎さん(@choueki_tarou)に対して思った事感じた事片っ端から語っていきたいと思う。

もうとにかく語らせてくれ。そして良ければ、可能な限り、よほどが無い限り聞いて覚えてYoutube行ってチャンネル登録していってくれ。

 

 

 

足して説明する必要がとても少ない、ひと目で伝わるキャラクターとインパク

 

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 "前科三犯 称呼番号893番 懲役太郎です"

はい。

強い。

何が強いってもう全方向に強いのだが、この出で立ちと冒頭の名乗りで彼がどういうキャラかほぼほぼ説明がついているのが具体的に強い。

前科三犯で→刑務所にまつわる話・犯罪系の人なんだなと察せるし、

893番の称呼番号は→ヤのつくお仕事のあのアレの語呂合わせですよねぇ?と想像に難くない。

で、刈られた短い頭髪&白黒ボーダーのステレオタイプの囚人服。わかりやすい。

彼を布教するにあたって「どういう人?」と訊かれたらこの動画をスッと出して

「見ればわかるよ」

と言えば済むのは推したい広めたい我々からしても助かるし、群雄割拠のV界において1発目の自己紹介動画のつかみがメチャクチャに強いというのは、頭一つ抜きんでたアドバンテージである事は疑いようがない。

 

声が良い

 単純にイケてるボイス、略してイケボという話ではない。いやイケてるかイケてないかでいえば超絶イケてますが。

よく視聴者が「サンダーライガーさんみたい」と評しているが私は6代目、当代の三遊亭圓楽さんに似ていると思っている。バ行の発音や会話の合間の「えー」と言ってるところなんてぼんやりと聞いていたらうっかり間違えそうなくらい似ていると思っているんである。

歳経た男性のちょっぴりばかししゃがれたような声質は『あっ…完全にガチもんだこれ…!』と圧倒的な説得力とリアリティを積んでくる。そこが良いのだ。

また、若人の多いV界ではこのタイプの声は逆に貴重だ。若い子がキャッキャしている様も決して悪くはないが時にはどっしりと落ち着いた声・人・話を摂取したい時だって人にはある。そういう層にガン刺さりする声質ではないかと主張する次第である。

考えながら話して頭の回転に口がついていかず訥々とした語り口になりがちな御仁なのだが、ノッた時の話しぶりはその声も相まって実に落語家のそれとよく似ている。あと歌声は完全に長淵剛である。おじさんなので基本歌声はコブシマシマシである。

という事は太郎さんの魂の顔の骨格って…などという事に思いをはせて一人ニヤニヤしてるのは多分この世で私だけだと思っている。楽しいぞ。

 

扱う話題が強い

 囚人系Vtuberであるからして、日々アップされている動画や生放送はやはりアングラ・犯罪系のネタに偏っている。

生放送の方は特に耳目を集めやすいが取り扱い注意の事件・時事ネタをお題目としてそこから太郎さんの知る知識や実体験、他の囚人から聞いた話などを絡めていく。

 その内容は平穏に生きてきた人間ではおよそ聞く機会の無いようなものばかりだ。

 

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上の動画くらいの話はほんのジャブである。

・「死体は山に埋められない」ってそういう意味かよ~

パパ活をエサに女の子をカタに嵌める奴はこういう手順でくる

・おつとめ(懲役)の長い太郎さんは誕生日があんまり好きじゃないそう。その理由というのが…

こんな感じで面白いけど活用はできなさそう、というかできてたまるか!?な知識や普通のメディアで載せられないようなエピソードがゴロッゴロのザックザクで出てくる。表の世界ではやっぱりどうしたって薬物の話、実際収監され生活している囚人の話、犯罪の手口の話、裏社会を生きて来た人本人からの話なんかはタブーとされ大っぴらには出てこない。この危険地帯を切り拓いた彼の存在はVtuberという存在が認知され広まるところまで来た現代のネット社会だからようやく許容されるようになってきた、丁度の良いタイミングで出て来たのかなと感じる。

ネットに明るい人間の中にはとにかく自分が知らないジャンルの知識や話を聞くのがキモチイイ、知識欲を満たすことで生きる活力を得る生態の人間が一定量居る。懲役太郎さんはそういった『知らない世界を案内してくれる人材』を求める人にクリティカルヒットする逸材だ。

 

『おじさん』はステータスだ!希少価値だ!

 立ち絵と実際に動画を開いて声を聞いていただければ解ると思うが、はっきり言って太郎さんはおっさん勢である。どう低く見積もっても40代いってないってことはないだろう、バリッバリのおじさんだ。下ネタひとつ取っても、センスが昭和のおじさんだ。アルファベットの「H」を出すと普通の男子Vtuberは「エッチ」と読んでボケるだろう。でも太郎さんは違う。「ホテル」とボケたんである。そういう所嫌いじゃないわ。

現実世界ではおじさんはそこらに沢山いるが、Vtuber界に舞台を移すと歳経たおじさんである事は途端に珍しいアピールポイントに早変わりだ。非人間のVtuberも結構いるので年齢の話は十把一絡げには言えない部分もあるが、多くは10代の少年少女の外見をしている。30代を名乗れば立派におじさん扱いされる。

そんな界隈に囚人の、世のVtuberや視聴者のお父さんくらいの世代のおじさんが乗り込んで来ている、というのがいかにとんでもない事で、パワーと度胸のあるスゲェ事であるか想像がつくだろうか?若い子たちに交じってお呼ばれした企画に参加しガッツリと爪痕を残し仕事を果たす太郎さんを見ていると、『こりゃあ太郎さんより若い我々が、日々を緩慢に生きている場合じゃないな・シャバで自由に生きてて勿体ない時間の使い方してるな』と背筋が伸びる思いがする。

精力的に、そして野心的に活動している太郎さんのイキイキとした姿は観る者に勇気と活力をくれる。特に同年代のおじさんファンにとっての希望の星なのではないだろうか。

 

太郎さん1人を推す事は3人の人間を推す事と同義

 【懲役太郎】という存在を語るにあたって、もう2人説明すべき人が居るのでそちらにも触れておきたい。

メタ的な話になってしまい申し訳ないが、Vtuberというものは電脳体、いわゆるガワのイラストに魂を吹き込んで動かしている存在だ。そのガワを描いた人は俗に『ママ』と呼ばれている。

懲役太郎さんの『ママ』にあたる人は誰か。【俺太郎】先生(@ore_tarou)である。

基本、Vtuberの配信はVtuber自身でやるものだと思うのだが、前述した通り太郎さんはおじさんである。コンピューターの事はよくわからない。パソコンの液晶ディスプレイをタッチパネルと同じように触れて動かそうとするようなお人なんである。

そんな太郎さんと出会い、その魅力を見出し、手伝い、Vtuberとして世に出られるようお膳立てをした立役者が誰あろう俺太郎先生だ。日々の生配信で懲役太郎チャンネルとしてチャットで発言しているのは俺太郎先生であり、配信のセッティングは俺太郎先生や、僅かにしか言及されていないが『刑務官さん』『係の人』などもう何人かいるとおぼしき協力者の方がやっているようである。

2人の出会い等のエピソードは語ると長く、太郎さんが直接話していたからこそ響く話であったのでこちらの生放送をご参照いただきたい。

 

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この話に関して掘り下げる前にこの話題に絡むもう1人を出そう。【ゴルンノヴァ総統】(@SouTou_VTuber)である。

太郎さんはupd8というVtuberのプロモーション等を支援する組織に所属しているが、俺太郎先生と同じように太郎さんに目をつけ所属を打診したとされるのがゴルンノヴァ総統であり、2019年6月の懲役太郎リアルイベントや懲役太郎グッズの手配をしたのも彼である。彼もまた太郎さんを盛り立てた功労者であり話をするには欠いてはいけない。ゴルンノヴァ総統もVtuberであり電脳ラップ・電脳落語が持ちネタだ。

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30代ホイホイのゲーム・ラノベ話にも明るいので同年代は要チェック。

 

 【懲役太郎】というidol(見せたい理想の像)はこの3人の男の手が合わさって作られている、という情報は太郎さんの魅力を語るにあたってとても重要なファクターだと強く主張すべき事柄だ。真剣に【懲役太郎】というVtuberをどう演出し魅せていくかを協力者の2人が考え、気に掛け、太郎さん本人は2人が「貴方は売れる・人気が出る価値がある」と言ってくれた期待に応え、2人が言っている事は正しいと証明したいという願いを背負って日々我々に色んな話をして、楽しませてくれる。

非常に、尊い

生放送アーカイブを視聴していると「目指せチャンネル登録者数10万」などと言っていた時期があるのだが、太郎さんがこの野心的目標を口にするのは自分のためではない。2人の正しさを証明する1番わかりやすい数字がそこだから、という話だ。わかるだろうか、この尊さが。

 

 どんなコンテンツもそうだが、

【誠実に・手間をかけて・情熱を注いだ】

の3点が足り過ぎるほど足りていて、なおかつ末端消費者に可視化されているコンテンツは1度スポットがあたれば後は売れるべくして売れていく、今はそういう世の中だ。アニメで言えば「ケムリクサ」しかり、漫画で言えば「王様ランキング」しかり、ゲームで言えば「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」しかり、だ。

他のVtuberだって決して誠実さ・手間・情熱が劣っているなどとは言わない。全くもってそんな事はない。みんな動画ひとつ、活動ひとつにエネルギーを費やして我々にお届けしてくれている。

しかし、太郎さんには3人分の人間のエネルギーが費やされているというのが頻繁に可視化されているのは事実だ。3人は折に触れ他の2人への尊敬を、リスペクトを表している。ゴルンノヴァ総統は太郎さんからの愛あるイジりをわかった上でボヤいている事の方が多いが。でもそこがカワイイので良い。おじさんどもがワイワイしてふざけているあのノリはとても良い。

この煌めき溢れる敬意の絆が見えているからこそ、【懲役太郎】はチャンネル登録者数5万を超えるコンテンツとして世に受け入れられたのだ。推したファン達が推して良かったなぁと思わせ続けられ、気持ち良く「この人イイよ!」と布教したくなる魅力を獲得しているのだ。

これ、絶対に自信のある自論なので今後とも恥ずかしがらずガンガン仲良い様をお3方には見せていただきたく思います。いつもありがとうございます。

 

きっかり30分の生放送 追いやすく脱落しにくい発信スタンス

 なんでも、アナリティクスなるものを見ると太郎さんの生放送は「視聴途中で打ち切って離脱する人が少ない」らしい。リアルタイムで視聴していた時はへー、と咀嚼すること無くするっと聞いていたのだが、これは太郎さんだけに目がいってそれどころでは無かったからだ。他のVtuberにちょっと目を向けて比較する余裕ができると、これは結構すごい事であり、なんとなく考察と説明がつくようになってきた。

先にまとめてかいつまんで言うと、懲役太郎さんの生放送配信は『ラジオ的運用ができる』のと、『無理なく生活に組み込み続けられる長さとスパン』なのが強みなのかな、と分析する次第だ。

 

 太郎さんの動画・生放送は動きがほぼ無い(刑務所の面会室からの配信であるからして身振り手振りをするのも厳しいから、というのが実情なのが世知辛いがその話は特に重要ではないので置いておく)。ゲーム実況も何個かはあるが太郎さんの領分はトーク一辺倒だ。画面に動きが少ないという事は、生放送のチャットに参加している視聴者のコメントも追いたいのでない限り、画面を見続ける必要があまり無いわけだ。

だから太郎さんの配信は音声が重要→音だけのラジオと距離感が似ている、と思っている。「これはラジオのようなものだ」と解釈すると、生放送配信途中で離脱する人が少ない理由はぐっと解りやすくなる。

 1つは作業用BGMのように接しているので終わるまで流して他の何かの区切りにしている、というパターンだ。太郎さんの生放送は面会時間の都合上毎回きっかり30分である。話が盛り上がろうが、グダグダになろうが負からない30分だ。ニコニコで3分きっかりの動画に「ラーメンタイマー」というタグがつく場合があるが、それになぞらえてさながら30分タイマーとなるか。生放送リアルタイムでそうしている人もいるだろうし、アーカイブで聞き返すのと平行して何がしかをしようとする人もいるだろう。

「この30分間○○する」「この30分が終わったら○○しよう」

こうした「区切り」の活用を途中で切り上げるような事態はあんまり無いだろう。

 もう1つはラジオ的な接し方という事で、話している人、パーソナリティーを見ているから途中で打ち切る理由が無くなるパターンである。30・40代で「オールナイトニッポン」を始めとしたラジオ番組にハマっていた人なら、太郎さんの配信を追う感覚は既視感を覚えた瞬間もあったのではないかと思う。

大好きなそのパーソナリティーがみっちりトークしている様を、ちょっとやそっと面白くない内容だからって途中で切るか?という話なわけだ。時間いっぱいお付き合いする事そのものが目的になれば離脱なんてとんでもない!というムーブに自然となっていくのに合点がいくだろう。

 ……と、長々ともっともらしい理屈をつけて言ったがこれが離脱の少ない理由の全てではない。やっぱり結局内容自体が面白いもん、という部分も大きい。

「話が飛んでアレなんですが…」という前置きは太郎さんの生放送でしばしば聞かれるが、本当に太郎さんはどこにどう話題が飛ぶか良い意味で予測がつかないのだ。上に挙げた動画、お題は「刑務所の1日について」というものだったが最終的に俺太郎先生とのイイ話に着地し、自分としては屈指の神回だったと信じて疑っていない。いつそんな回が転がり出てくるかわからないので熱心なファンはそういうオイシイ瞬間を逃すまいと身を入れて聴いているわけだ。

生放送視聴を打ち切って離脱するという事はつまり、「これをずっと聞き続けてもお宝は出ないな」と見限られたり「もうオチが見えたな」と読み切られてしまっているという事だ。太郎さんに関してはそう思う瞬間無いじゃない、という意見は同意してくれるファンが殆どだろう。予測のつかないオモシロライブ配信が欲しけりゃ登録だ。絶対損はしませんぜ。

 

 『きっかり30分の生放送』の良さについてもう少し語らせて欲しい。

他のVtuberもちらりちらりと見ているのだが、例えば「1時間くらい生放送やろうと思いまーす」と言ったとする。これが実際に生で配信して終わるまでの時間が1時間より短くはまずならない、という事に気づいた時、自分はこの『きっかり30分』のありがたみにも気づけた。

何せこういった配信はファンサービスの一環だ。長くなりこそすれ宣言した見込みの時間よりも短く切り上げる事はファンを想うと基本できない、という心理は解るだろう。ファンとしても嬉しいは嬉しいのだが……電脳体でない現実世界のファンは配信が長引くとその分リアルの生活を圧迫されてしまう、という痛しかゆしのデメリットが発生する場合があるのだ。1人暮らしであればその辺は自己責任で支障も少ないが、一緒に暮らす家族が居るとこのデメリットはトラブルの火種になり得る。

「7時から1時間くらいって言うから8時過ぎにお風呂入る~と言ったものの、8時半まで配信が伸びて『早くお風呂行きなさい!』と怒られ喧嘩になった」などといった事態がいつ起きるとも知れないわけだ。

30分という制限は刺激的なジャンルを扱い話す太郎さんが「Youtubeから怒られない範囲で、意識して制御して話せる時間がこれくらいだから」という理由で設けているのだが、これは結果的にファン側の追う負担の軽減にもなっている、俺に良しお前に良しのwin-winの構図に出来上がってくれているのだ。

 そして時間のみならず、現在の生放送配信が”月・火・木・土”の週4スパンである点にもフォーカスをあてたい。

精力的に毎日、どころか1日に2回配信するようなVtuberも見受けられるが、ありがたい反面それらを網羅し追い切るのは中々に難しいことだ。

常時イベントやってるような血を吐きながらマラソンし続けているスマホゲーに触れ、かつ脱落した経験のあるゲーマーなら覚えがあるだろう。熱心に追い切れず取りこぼしや出遅れが出るとそれは長々ひきずる蟠りになる。それは最終的に追い疲れによる脱落を招く毒になる。とても辛いことだ。

協力者の俺太郎先生が毎日生配信では動画編集の時間が取れないから、という理由もあっての週4にしたという話をしていたが、あのお方の事だ、ファンの追い疲れのケアの意も込めてのスパンにしたのではないかと思っている。

30分が週4回なので懲役太郎さんの週の活動時間は生放送の2時間+動画という事になる。これは映画1本分・TVの特番1本分とほぼ同じだ。1回1時間ちょいの配信×2×7日毎日、と比べるとスマート、コンパクトさが一目瞭然だ。これは週末勢をはじめとした時間にゆとりを中々作れない、ライト目になるしかないファン層でもなんとかついていけそうな気がする良い長さではなかろうか。

曜日の配分も良い。憂鬱なげつようびも太郎さんの放送があるから…と支えにできるし、週の真ん中・花金・休む人の多い日曜日はゆっくり自分の事に集中できる。この隙にリアルタイムで追えなかった人は差を埋められるし、追ってなお物足りなかったら太郎さんの今までの動画を視聴し返せばいいだけだ。程よいメリハリは休み開けの放送を「お待ちしてましたぁ!!」と喜べるようになるスパイスとして効いている。

 

 後発ファンや忙しい人でも追いつきやすく、1度ついたファンを離さず、振り落とさず繋ぎ止める。この努力、手管を知ってしまったらもうだめなんである。こんな素晴らしいコンテンツにハマるしか道は無いんである。もうこの沼に頭の先まで沈めて骨うずめます。幸せです。ありがとうございます。

 

長々と、本当に長々と語りましたが

 最後にこの記事を作成するに至った理由を改めて語らせて欲しい。

ひとつは懲役太郎さんが言っている事に感銘を受けて行動せずにはいられなかったからだ。太郎さんのような生き様の人間が幾人も居たことを時代の流れに埋もれさせず残したい。そしてこういった話をする事で誰かの何かのためになればと思っている。彼はそんな事を言っていた。

これは、この記事は、誰かの何かのために確かになったよという証明だ。

懲役太郎さんを追うようになって、雨の日は「我々には雨に濡れる自由があるんだ」と前向きに頑張れるようになった。

日々のニュースや事件に対して「じゃあ自分はどう思うのか?これからどうしていくべきか?」を向き合って考える事が増えた。

夜8時の生配信を後顧の憂い無く楽しむために雑事を片づけて臨もうと、テキパキ行動できるようになった。

毎日が楽しみになって、朝の9時、10時までダラダラ寝ぎたなく布団にこもる事も無くなった。

CAPIC製品の存在を知り、全国矯正展に足を運んで楽しい体験ができた上に丈夫で高品質なCAPIC製品のある生活を送れるようになった。

体力をつけようと運動の習慣をつけるようになった。

自分の知ってる、でもネットで調べて殆ど出てこなくなった昔の携帯アプリゲームの話を書き残そうと思って行動に移せた。

ゴで始まるあの昆虫が本当に年々苦手になってきていたのが、頑張って立ち向かえるようになった。

全部、太郎さんのおかげなのです。これからもちょっとずつ証明を積み上げていきたい所存であります。

太郎さんの言葉に、存在に心動かされ己の人生を、世界をちょっと良くしようと行動した人は他にもいるだろう。行動の結果ツイッターの『#懲役アート』タグでファンアートを寄せたファンだっている。

ただ自分は生憎絵が描けない。だからこういった形にすることにした。などと供述しており。

 

 そして、もうひとつの理由。ここまでの文章を見て頂いた方々におかれましては察しがついているだろう。

こんなものはつまるところ、ド浅ましく、ド厚かましい、利己的な好意の吐き散らかしに過ぎないのだ。ただのラブレターと自称する怪文書の押しつけだ。アイドルにベタベタベタベタ独りよがりのリプライをねちっこくつけていくアイドルオタクとそのメンタリティを比べてさほど差などありはしない。こんなにも好きだから見て欲しい!反応して欲しい!という醜い欲が無ければこれだけ文字を並べ続ける事はできなかった。そういう我欲の発露であった事はきちんと言っておかねばなるまい。

他のファンの方はこのようなザマにならぬよう反面教師としていただきたい。ここまでのヤベー奴にならないように気をつけつつ太郎さんの好きポイントはたくさんの人がたくさん表明していって欲しい。『#懲役太郎』タグ、活用していただきたい。『#懲役アート』も盛り上がるとなお嬉しい。

 

 言いたい事は、ひとまずこれで以上である。懲役太郎さんの良さが伝わっていればこれ幸い。この記事をきっかけにファンの1人でも増えてくれたならより最高だ。