「Time Machine」がスゴいと思う2つの理由 ―暖かいポストアポカリプスとユーザーが楽しくなる課金
2017年にリリースされた本作は当時からその面白さが評価され、ファミ通をはじめとしたゲームメディアからtogetter、個人ブログという小規模なところまで色んなところで取り上げられレビューを書かれと人気を博したゲームである。
あれから2年経ち、開発を行っている合同会社ズィーマ、及び開発者の「じぃーま」氏(@somebow_ippan)は本作の後に「DropPoint」「MyLove.」「ポストアポカリプスベーカリー」「リトルボムガール」と4作のゲームを輩出している。現在は『地球最後のタクシードライバー』を題材としたゲームを鋭意製作中だ。
「Time Machine」を含めた5作を全てプレイした今、改めて本作を振り返りその魅力をお伝えしていきたいと思う。
体験、ではなく垣間見るスタンスのポストアポカリプス
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.zxima.TimeMachine
「Time Machine」がどういうゲームかという説明は既に数多あるレビューを頼り省くとしよう。掘り下げたいのは昨今国内外で人気の設定”ポストアポカリプス”に対するアプローチについてだ。
「fallout」シリーズや「7days to die」、あと個人的に大好きなフリーゲーム「Cataclysm: Dark Days Ahead」などは、プレイヤーが【文明が崩壊した世界の只中に放り込まれたキャラクターを操作し、ポストアポカリプス世界を生きる】ゲームである。
ズタボロになった世界で文明の残滓を漁ってかき集め、豆の缶詰をもそもそと食べながら手持ちの物資であと何日生き延びられるか頭の中でソロバンをはじき、重いため息を吐いて思考を打ち切り相棒の銃の手入れに取りかかる。そういう世知辛い空気を味わいたい人間のためにポストアポカリプスはある―――人々はそんな共通認識を暗黙のうちに抱き、そのように接していたことだろう。
「Time Machine」は違う。明日をも知れぬ崩壊世界で死線を掻い潜る暮らしを送るのはあくまで子孫くんの方であり、プレイヤーは完全に傍観者としてゲーム起動時に話しかけてくる子孫くんからの伝聞や、仕送り物品を渡す際の子孫くんのコメントでその壮絶さの断片を受け取るのみだ。
我々にできるのは「観賞」と「干渉」だけ、この距離感は安全に・安心して楽しめる『やさしいはじめてのポストアポカリプス』として触っていきやすいポジションにあると言える。
そして後にリリースされた「ポストアポカリプスベーカリー」をプレイした人ならばよく解っていると思うが、じぃーま氏が描くポストアポカリプスはとてもハッピーだ。この方向性は「Time Machine」の時点でしっかり完成されている。
会話の一部や辿るエンディングによっては苦味を感じる場合があるものの、基本的に作中のキャラクターは皆前向きで、楽しそうで、たくましい。死にかけるような苦難が日常茶飯事でやってくる中でもポジティブな言葉を絶やさない彼ら・彼女らを眺めているのはとても楽しいことだ。その楽しさをじぃーま氏はきちんと守ってくれている。「ポストアポカリプスベーカリー」以外のゲームは複数エンディングが存在しており、最も良いエンディングでは必ず作中人物は報われ、キャラクター達もプレイし続けたユーザーもスッキリと”めでたし、めでたし”で終わることができる。「Time Machine」はその先頭に居る、記念すべき1作目だ。
これはもう【ハートフルで暖かい、ほっこりとしたポストアポカリプス】という、一見虻蜂取らずに終わりそうな要素を巧みに混ぜ合わせて調和を取った名作であると私は言いたい。
個人ゲーム制作者はいかにしてユーザーに課金してもらうか?に対するひとつの解答
開発者も人間なので作ったゲームが儲からなければ生活が立ちゆかない。個人や小さい規模の集団が作ったいわゆるインディーズゲームにおいて、マネタイズは大きな課題だ。
自分も何作と個人製作のスマホゲーをプレイしたが大体が『基本無料・合間合間に広告が入り・広告をオフにするには300円ちょっとの課金をして下さい』というテンプレートになっていた。
じゃあこのテンプレートに添ってゲームユーザーがお布施をするか?というと正直NO、と多くのユーザーが返すだろう。基本無料に釣られてプレイする方も悪いのかもしれないが広告を挟み入れるパターンのゲームは煩わしい。その煩わしさを取り除くのに課金する、という動きはいわばマイナスを消してゼロに戻す動きなわけで言ってしまえば【嬉しさ】が無い。
繰り返す。単なる広告オフに課金するのはユーザーとしてそこに【嬉しさ】を感じない、という事だ。よっぽどそのゲームに惚れ込んだファンならばこのゲームが好き!というその1点で多大な【嬉しさ】を感じているので課金にまで行きつくが、プレイヤー母数も小さくコアなファンの実数も少ないのが個人製作ゲームというものだ。最終的な儲けは微々たるものに終わるのが殆どだろう。
じゃあ何をすればユーザーは嬉しいのか?お金を払ってくれるファンの数は増えるのか?そう難しい事は要求していない。
作者に牛丼が奢れるだけじゃないスマホRPG『ワーズ・アンド・マジック』の優れたゲームデザイン – もぐらゲームス
こういう事だ。流れ作業でマイナスを打ち消す広告オフや課金コンテンツをのっけておしまいにせず、イジってネタにするというプラスアルファを盛ったらどうか、という事だ。
これくらいの、ひと匙のユーモアであるとか、制作側の存在や謝意が見える何かがあるとユーザーとしても気持ち良くお金を払う気分になれるわけだ。極まればユーザー側がむしろお金を払わせて欲しいと言ってくるようになるわけだ。欲を言えばひと匙のサイズが小匙より大匙の方が嬉しいし、おたま一杯分をひと匙と言い張ろうものならユーザー大歓喜でお布施はじゃりんじゃりんだ。
ただのいっぱしのユーザーが調子良い事を言いおって、と思われるかもしれないが実際じぃーま氏はご自身が作られたゲームの売り上げが非常に良いと何度か言っているのだからしょうがない(参考:http://blog.zxm.jp/2019/01/post-8604/)。
では、お金を取れるゲームにするためにじぃーま氏が加えたひと匙の正体は何であるか?
【ユーザーの課金を作中キャラクターに認識させ喋らせた】である。
言いたい事は解る。『いやそれ、危なくない?』と。
確かに簡単にマネするのは危ない。現実のカネの話をゲーム内キャラクターに安易にさせるのはメタ的でシラける危険があるし、生々しい・あざとい空気をキャラに纏わせてしまいかねない。
そうならず肯定的に受け取られたのはそこはそれ、じぃーま氏のウデが良かったという話である。ぼかして書くが要はちょっと持って回った触れ方で、
「おや何か起きたみたいだ、あなたが何かしたのか?よくわかんないけどともあれありがとうね」
と話しかけてくれるわけだ。世界観が壊れないような言い回しでお礼を言われる分には、悪い気はしない。
後はまぁケチ臭いユーザーだなぁと言われそうな申し訳ない話だが、「Time Machine」の課金単価は安い。なにせ広告オフは相場より安い110円だ。さっき触れた「作者に牛丼をおごる」がバズったのも広告オフが100円だった点が多少は関係があったんじゃないかと思っている(とは言いつつもあっちは本当にどこかの牛丼屋の並盛1杯の値段で設定しても通ったんではという気もする)。
缶ジュース1本分程度の値段であれば「ゲームは面白かったし、これくらいならまあ」と課金に踏み切りやすい。そこでキャラからレスポンスが来たらどうなるか。嬉しい。メッチャクチャ嬉しい。そして面白い。嬉しすぎて「えっ…こんな些少な額でこんな思いさせてくれんの…実質タダじゃん…」くらいの心境にまで至れる始末である。おかげで自分はじぃーま氏のゲーム5作ほぼほぼ全部に何がしかの課金をしてきた程だ。皆喜んでくれるの嬉しい。そしてカワイイ。
自分はただの遊ぶ側の人間なので、この『課金したらキャラが反応するシステム』を盛り込むのが開発側にとってどれほどの難易度なのかはわからない。でもこれがもし難しいことでないならば、みんなもっとマネしたらいいんじゃないの?と無責任に言い放ってしまいたい。
ゲームをまた作ろうと思えるくらいのお金を稼ぎ続けてはや6作目の制作中であるじぃーま氏の手法、実績の積み上げはもう充分に為されているのではないだろうか。これがスタンダードになっていったら、個人製作ゲームでお金を集める事がちょっとは簡単になり、開発者はゲームを作り続けられるしユーザーは楽しいゲームを遊び続けることができる、正のスパイラルが上手に回っていくのではと愚考する次第だ。
久しぶりに子孫くんの話に耳を傾けようか
この記事を書くにあたって久しぶりにプレイしたのだが、2年前の出始めの頃に比べると仕送りに消費するエネルギーがお安くなっていて1度に連続で送れる回数が増え、子孫くんの会話バリエーションも初期の時点でも充分多かったのが更に増えていた。
未プレイの人に対しても勿論オススメだが、全てのエンディングを見て満足した人よ、どうだろう。あの時の子孫くんと過ごした日々をもう1回プレイバックしてみては。
こちらが贈る物品に喜んだり喜ばなかったりする子孫くんは、今見てもやっぱりカワイイ。